自分のことは案外わかってないもんですね
山にはいり
歩きはじめて
石ころふんで は
また歩く の繰り返しのなかで
ふだんは自分の中に引きこもっている「小さな自分」がででてきてくれます
そんな小さな自分と対話
自分ってこんなこと思ってたんだねって
案外わかってなかったなー
情報がおおすぎるんじゃないか
そんな 対話も 「山」の「森」の「不思議」
世界の色も空気かわって、毎日毎日、変な情報が頭の中でごちゃごちゃ
そんな時も
静謐な森あるき 山あるきは「瞑想」に丁度よかったりします
目の前の石の肌に
気の遠くなるような地球をみたり
花の生きかたと枯れ方に
感心したり
納得したり
踏まれて重なっている
落ち葉のマザーツリーを探してあげたり
お節介だと反省したり
善意の押し付けだと
そら耳も聴こえたり
なぜこの山に惹かれるのだろう、と
いくつも「りゆう」を探したり
ただただ
転ばないように
そのうちに
「無心」になって
頭モヤが晴れて
おおきなおおきな青空が
あたまのなかに広がって
あ、あの風が、
雲を迎えにいったな
そんなことにも気がつきはじめたりして
山歩きで瞑想
できなくもないですよね
きっときっと からだにいいはず
やまのさんぽ
もりのさんぽ
瞑想、冥想とは、仏教から伝わる瞑想、ヨガから伝わる瞑想により内容は大きく異なるが、心を静めて無心になること、何も考えずリラックスすること、心を静めて神に祈ったり、何かに心を集中させること、目を閉じて深く静かに思いをめぐらすことなどとされている。本来は冥想と書くと思われる[1]。この呼称は、単に心身の静寂を取り戻すために行うような比較的日常的なものから、絶対者(神)をありありと体感したり、究極の智慧を得るようなものまで、広い範囲に用いられる。現代では、健康の向上や心理的治療、自己成長、自己向上などの世俗的な目的をもって、様々な瞑想が行われている
ウキペディアより